yatata-dankeiのブログ

niconicoから放り出されたオジサンの迷走

正夢とか、扱いが難しい

よく夢を見る。だから一番最初の記事でも夢つながりの記事を書いたわけだが。正夢というか、予言めいたものを見る時がある。多くの人には、朝飯を食べる頃には忘れてしまう程度のことなのだが。

 知らない会社の入り口から中に入っていく。左手の応接室で喋ったあと、工場内を見学させてもらう流れなのだが。そこで突如、天井のスピーカーから女性の声で、
「ここにあなたの仕事は有りません」
といわれた。そこで目覚めた。

 さて、それから2,3か月くらいの後、僕は本当に転職の為の面接を受けた。車で駐車場に降りたときから強い既視感を覚えた。体験したような会社のエントランス。嫌な予感は左手の応接室に通されて、見たような椅子に座ってから確信へと変わった。無論、そんな素振りはおくびにも出さず質疑応答した。工場に案内された。似ているといえば似ている高い天井。僕は後をついて歩きながら、あの構内全体に響き渡ったアナウンス入らないよね、とハラハラしていた。

 あなたならどうする?
信じてこの会社を避けるか。
無視して其処に入るか。

 僕は其処に入らなかった。しかし、人生の進路に関わる決断に夢の判断を入れてしまっていいのか、という葛藤はあった。夢が、というよりも直感なのかな、とも思った。5年くらいたった後、其処に居たという人から聞いた話では、この判断は良かったように思われた。

 そして今回、正夢の絶好の観望期に入っている。今年に入ってまた、転職したのだ。直近の夢では、何人かの仲間と一緒に機械の前で仕事をしている場面を見たわけだが。果たして、今回の決断、吉と出るか、凶と出るか。

閣下のエルドラドと僕

デーモン閣下のエルドラドをずっと繰り返し聞き続けていた時期があった。
といっても、2013年くらいのことで、それまではこの偉大なヘヴィメタルバンドを知っては
いても、楽曲を聴いたことはなかった。まあ、あの”見た目”だったから。

 いい声である。僕の中での三大美声歌手(井上陽水ナット・キング・コール、と閣下)
となった。とくに伸びのある高音がうっとりと聴かせてくれる。永遠の憧れの地、エルドラド
への賛美(バブル頂点の頃の日本への皮肉?)が。

 そのなかの”むかしの記憶の中に”という詞がある。僕の昔の記憶の中にある黄金郷とは
カタンビワハゴロモという異形の蛾が舞う中南米のジャングルだった。小学館の図鑑に載っている怪物を、この目で見たくて、親が連れて行ってくれないものか、と願い続けていたのだった。

 子供のことだから、妄想は単純だった。父は旅行先のホテルでビールでも飲んでゆっくりしてもらい、母は街にショッピングにでも出かけてもらう。そして僕は駅前商店街のスーパーで買ってもらった自慢の捕虫網と虫かご、麦わら帽子で「完全武装」して熱帯の山に出かけるのだ。きっとそこにはいままで見たこともない極彩色の蝶、巨大で重い甲虫。細長い脚が手に余るほどの大きなバッタ。やがて森の木々の奥に樹皮に擬態するように、ピーナッツ頭の蛾がいるのを発見するだろう。

もちろん、子供の脳裏に蚊が媒介する伝染病や、ヒルなどといった危険な生き物は全く浮かんでいない。現地の治安なんて知りもしない。日本の田舎しか世界が無い男の子には、まったく違う風土と人々の社会があることなど、知る由もない。

 でも、今はそんな子供の夢など消し飛んだ。毎日、山を横目に家と会社の間を往復するだけ。
母は病院に入院して外へも出られない有様。
いつの日も届かない、とはこのことか、いや、はやく行かなかったからか。

 

 九月、思わぬ形で虫取りをする羽目になった。息子が登下校の途中で見つけたという

大カマキリの餌としてバッタを捕るというのである。虫かごの中には見事なカマキリ先生が鎮座しましていて、ちゃんと草葉が入れてある。立派な姿に、捨てて来い、という言葉を飲み込んで翌朝、裏の田んぼの畦道を探索することにした。

 

 何十年ぶりかの虫取り網である。僕は中年になったが、足元の草叢をバッタが飛び跳ね、頭上をしおからトンボが飛翔する。空は白い雲の彼方に青く拡がり、東の山際から太陽はギラギラ輝いている。世界は何一つ変わってはいなかった。

 

 最初は網を弄んでいたが、慣れとは怖いもの。バッタの姿を茎の裏やら葉の裏などに見分けられるようになった。こうなれば簡単だ。力任せに網を叩きつけている息子を尻目に、ひょい、と網を虫の上に置く。後は網の中の草と虫の仕分けをする。茎に留まっているやつを掬い上げる。網の中から出す。これを繰り返して20匹くらい採った。

 

 まだ青い稲穂を湛えた田んぼを囲う猪除けの網は昆虫たちの格好の日光浴の場所らしい。これまた多くのバッタを取ることができた。しかし、ここにはもう一人のハンターも来ていた。

「パパ、見てみて!」

なんともう一匹カマキリを捕まえてしまった。腹が大きいハラビロカマキリだ。なんということだ。

「ねえ、このバッタ全部餌になるんだよねえ。パパ、あんまり気乗りしないんだケド」

「このカマキリまでは無理じゃない?食べる奴が2倍とか・・・」

「嫌、もって帰りたい!」

 

 結局、ハラビロカマキリも捕まえて帰ることになった。道すがら、軽トラのオジサンとすれ違う。

「何がとれますか」

「イヤー、バッタばっかりで」

照れ笑いしながらウキウキの子供の背を追った。虫籠の中を覗く息子の帽子を見下ろしながら中米のジャングルとは程遠いが、これが僕の辿りついたエルドラドともいえるのだろう、と思えた。

 

 まあ、あと一つ子供のころに描いたエルドラドがあるんですけどね。「できるかな」のスタジオで、ノッポさんと工作して遊びたかったんです。

漫画「ペリリュー」を買ったのは小杉伍長のせい

もう、いい年をして書店の漫画コーナーに足を踏み入れるのが勇気がいるように感じられる。それでも、本屋でないと出会えない本もある。そんな時間があるなんて、羨ましい。などという嫁の嫌味を躱して、密かにお気に入りの書店に羽を伸ばす。なんとなく気になる表紙と題名の冊子を手に取る。ペリリューは戦史を多少齧っていたから内容は大体予想がつく。

 絵のタッチはかなりのデフォルメ。劇画調にしなかったのは、人が死にまくる内容を考えたら正解だっだと思う。血や人体の損壊を黒く塗る程度にしてくれたのは、読み進めていくうえでだいぶ助けになった。これがエヴァンゲリオンのように直接的な描写をやられたら、ページをめくるのが厳しくなっていただろう。

 そして2巻以降を買うと決めたのは、小杉伍長の人となりだ。命令する隊長が死ぬと平然と軍紀を無視して生き残る方策を探り始めるところだ。
「ああ、これは僕だな」
群像劇では、だれか一人くらいはお気に入りや、共感するキャラクターが出てくるものだ。
 組織に組み込まれながらも、その実、組織の歯車になることをまっぴらごめん、と思っている。同調圧力に従いながらも、その軛から逃れる機会をうかがっている。

 

 第二次大戦での日本兵は、命令に忠実で死を賭して任務を全うする姿しか取り上げられないことが多いので、

 現代的な合理精神を持ち続ける主人公たちの好感度も良かったが、僕は作中のもう一人の僕である小杉の行く末を見てみたくなった。途中、まさかの泉二等兵ヒロイン説まで出て驚かされたり。島田少尉は背負うものが大き過ぎて日本に帰れなそうだな、とか。
 小杉伍長は完全に脱走兵になっていたが、味方を敵に売るような真似まではしない。こそこそと逃げ回っているが、たまに協力したりもする。あくまで利害の一致を見たときだけだが。
 しかし、最新刊の10刊で小杉伍長は死んでしまった。最後に焦りから日本兵への裏切り行為を犯した故、仕方なかったんだろうが。おのれ、片倉め。僕も片倉兵長は嫌いです。

 ところで、戦争を経験したのは祖父母の世代だったが。

 僕の父方の爺さんは満州帰りの連隊司令部付きの通信兵だったという。達筆な字で毎晩、小生という自称を使って手帳に日記をつけていた。終戦の年に上役のお歴々についてくる形で、早々に大連から日本に引き上げてきたらしい。五才の父は突然、家の軒先に腰を下ろしてブーツを脱ぎ始めた軍服姿の男を自分の父とは判らなかったと話していた。

 そうした経歴上、元兵隊の老人がよく隠居を訪ねていたが、その中に一人、異様な老人が一人いた。喉に穴が開いている。当然喋れないのだが、その穴に一見タバコのパイプのような器具を差し込むと、マイク音のような特異な音で喋るのだ。

 あの道具はどういった仕組みだったのだろう?ゆっくりの音声の低音みたいな機械的な発声。もう、あの老人も亡くなっているのだろうが、あの奇怪な道具は遺品にでもなって老人の遺族のもとに残っているのだろうか。

お猫様クロニクル 3

4番目の猫は仕事帰りに拾った。道路の真ん中に座り込んでいた小さい猫を轢きかけたのだ。慌てて車を降りると、溝のほうから啼き声がした。僕は、少し血の気の引いた面持ちでこの猫を車に乗せた。

 餌をやってオス猫だと判った。初めての雄。まだ若い、子猫の面影を残すキジトラ。僕の関わる猫は必ずキジトラ。どんなもんなんだろう、雄って。ネットにあった強面のオス猫を並べたヤクザの組織図を思い浮かべながら、こいつもじゃりン子チエに出てくるアントニオみたいになるんだろうか、と想像を膨らませていた。だが、今はまだ、魔女の宅急便のジジみたいに細い。

 庭木の幹をスルスルと屋根くらいの高さに上って見せたり、木の実を啄みに来る野鳥に飛び掛かったりした。アキナには見られなかったやんちゃ坊主ぶりに、男の子を持つ親のような気持になった。大きくなれよ、と餌もセッセと与えた。

 だが、彼は近所のオス猫と比べてあまり大きくはならなかった。一度、臥せってしまい、病院に連れて行ったら、腸に炎症があるとかで、薬を処方してもらった。どうも頑健で丈夫というわけでもないらしかった。動物の世界では体の大きさが喧嘩の強さになるみたいだが。

 一度、納屋の屋根裏部屋の窓から、木を挟んで睨みあう、うちの猫と隣の家のボス猫を目撃した。唸り声と、目を合わせるか、合わせないかの微妙に視線を外した斜めの角度。緊迫の威嚇に固唾を飲んで見守る。ボス猫の前足がパッと前に奔った刹那、逃げるうちの猫が家の蔭へと消えた。僕は肩を落として窓を離れた。

 後に、うちの猫を抱き上げた際、悪気があるわけではなかったが、
「お前は強弱でいうと弱のほうだな」
と、からかいながら笑って言った。それが家の者に伝わって、じゃく、じゃくと呼び始めてしまった。猫は嫌い、と言っていた父までもが、じゃくと呼びながら抱っこするに及んで、猫の名前になってしまった。

 自分たちの勝手な呼び名とは別に、僕はいつしか隣の家のボス猫が憎たらしくなっていた。今度喧嘩の場面に遭遇したら、エアガンで撃ってやりたい。そうすれば、あのデカブツもうちの庭に入るのを躊躇うだろう。そうだ、エアガンを買わねばならない。仕事中にそんなことを考えていた。とにかく、アレに一発お見舞いしてやらねば気が済まぬ。

 そんな考えを巡らしていたある日、仕事の最中にも関わらず母から電話がかかってきた。
「じゃくがもうダメみたいなの。苦しんで家じゅうを転げ廻って・・・」
暗い声音が携帯の向こうから呟いた。突然、家の中を七転八倒したかとおもうと、ぐったりと動かなくなってしまったという。僕は取敢えず帰ってから様子を見るから、と電話を切った。だいぶ具合が悪いらしい。

 ある程度のことを考えながら家に着くと、じゃくの姿はどこにもなかった。母が、もう庭に埋めてしまったといった。
「なんで?」
俄かには呑み込めない事の顛末に憮然たる顔で、
「黙って勝手なことを・・・」
母を睨むと、ゴメンと言って項垂れた。可哀そうでとても見てはいられなかったというのだが。僕の気持ちは収まらなかった。

 遂には、ここに埋めたという地面から、じゃくの姿を掘り起こさん、とスコップを持って立った。黒い土の中から汚れたじゃくのキジトラの毛と、閉じた眼が出てきたらどうしよう。
その姿を想像するだに恐ろしくなって、僕は握っていたスコップを放り出してしまった。

 それが僕の最後の猫となった。
 
 今では僕の家には人生で一番大きい猫、大熊猫が住みついてしまい、家に主になってしまった。そいつは僕に小遣いを呉れて、あれこれと指図をしてくる。どうもそいつは僕を飼っているとでも思っているらしい。子供を産んだ後に至っては、その傾向が年々酷くなる一方である。

お猫様クロニクル 2

中学2年生の春くらいだっただろうか。風雨が強い夜にトイレに起きた,まだ暗い早朝。一匹の猫が納屋のバイクの荷台に丸くなっていた。必死の形相で訴えるように僕に向かって何度も啼いていた。驚いて足を止めていたが、先ずは用を足すため、構わず歩き去った。そいつはすぐに居なくならず、学校から帰ってきた夕方にもいた。とうとう部屋に上げてミルクを与えてしまった。それが3番目の猫「アキナ」との生活の始まりだった。
 
 中学デビューからの部活や学業などのハードルが一つ上がる時期。次第に友人等々周囲との関わりが難しくなっていた僕にとって、この若い雌猫との時間はずいぶんと精神面の救いになった。友人未満のお知り合いの同級生たちとの、気の休まらぬ学校生活に疲れて家に帰る。庭先から僕を見つけたアキナがピン、と上に尻尾を立て、小走りに真っすぐ足元に擦り寄って来る姿は嬉しいものだった。利害関係も学校での上下関係もない、お互いの好意だけの時間が救いになった。

 寝ている間に胸が苦しくて目を開けると、箱座りしたアキナの鼻が目前に迫ってきていた。別の夜には、就寝後の真っ暗な部屋の中で暴れまわり、翌朝モグラの死骸を見つけて仰天したりした。餌をやってはいるのだが、周囲に広がる畑から獲物を持ち込むのは日常茶飯事で、野ネズミの頭だけになったものを拾わされることは度々だった。

 そんな生活も高校卒業、県外への進学で僕が家を出ることで終わった。

 7年後に就職して帰郷すると、既にアキナは家を出ていた後だった。母の言うには、近所の家に出入りしているのを見かけたという。僕は仕方ない、と諦めつつも、いつかヒョッコリと道端を歩いているアキナの姿を見かけることができるかも、と淡い期待を持っていた。

 しかし、社会人の仕事に一杯一杯になっていた僕は、いつしかアキナのことを忘れて目まぐるしく日々を過ごした。そんなある晩、風呂に入りながら猫のことを何気なく思い出した。よくよく振り返ってみると、アキナとの出会いから17,8年は経っていることに思い至って愕然となった。
「あいつはもう死んでいるのではないか」
ぼんやりと再会を思い描いていた僕は、大事な相棒を失ったことに気づかされた。

 今になって、ふと思い出したことがある。アキナが死んだのかも、と考える前だったか後だったか定かでないのだが。あの納屋で草履を履いて出かけようとしたときだ。自分の眉間に向かって大きな蠅が飛んできた。驚いて蠅を避けたが、なんかオカシイ。蠅の数が多いのだ。僕は納屋の中を調べてみた。

 倉庫の床下の地面に猫の死体のようなものが横たわっていた。冬が終わり寒さが緩もうとしていた。冬の間に床下に入り込んで事切れたものと思われた「ソレ」はすでに黒くなっていて、全身に蛆の蠢きが漣を作っていた。
「ワーッ」
僕は真っ蒼になってスコップを取ると、庭の一本の木の下に穴を掘った。そのまま取って返すと、猫ラシキモノをスコップで掬い上げた。零れ落ちる蛆に構わずソレを一息に穴に投げ入れた。
「往生しろよ」
脂汗をかきながら、上から土を被せた。そんなことがあった。あれは、アキナの成れの果てだったのではないか。いや、それは自分の勝手な思い込みで、無関係な野良猫か。もう、確かめる術はないが。

 それ以来、僕には一つの妄想がある。自分が死んだ後である。
雨の後のウユニ塩湖のような、空と大地の境が無くなったような場所。フワフワと漂いながら、自惚れていたわりに何もできなかったな、と自嘲したりしている。すると、白い靄の彼方から、
「ニャー」
と、聞き覚えのある啼き声がする。振り向くと、キジトラの毛にピンと上に立てた尻尾の猫が駆け寄ってくるのだ。僕はたぶん、
「オーッ」
と、感嘆の声を上げて小さい背中から尻尾を撫でるだろう。そんな再会があるかもと、密かに胸に秘めている。

お猫様クロニクル

最初の猫は爺ちゃんちの納屋で生まれた子猫だった。僕が三歳くらいの頃。明治生まれの爺ちゃんと婆ちゃんが現役で農業を営んでいた時代だ。牛小屋のある納屋の藁の中で、半野良のように飼われていた白黒の猫が子猫を生む。それを玩具代わりに孫に与えたのだ。もう、薄っすらとしか覚えていないが、母の話ではニャー、ニャー啼く子猫の首を掴んで庭で遊んでいたそうである。今なら頭を抱えて、放せと言うところだが、当時は自分が何をやっているのか、判るはずもなかった。
 
 小学生になると、隠居に住む雌猫がいた。祖父の使っていた消毒液の名前から、チンキと呼ばれていた。キジトラの細身の老猫だった。
 台所に立つ祖母の絣のモンペの足元に寄り、欠けた茶碗に残飯を分けてもらうのが日常。隠居は昭和の造りで、土間と茶の間を区切るのは擦りガラス入りの障子戸しかなかった。チンキはその障子の一か所を突き破って通り道を作って、ジャンプして戸外と内を出入りしていた。

 昭和の田舎の猫の飼い方なので、サザエさん方式で、餌をやる以外に特に世話というものをやらないスタイルだった。当時はこれ以外の飼い方を知らないので、平成から令和の今のように、屋外に出ないように配慮し、猫砂に用を足すように躾けることも考えが及ばないものだった。
 
 小学生の男の子には、猫は好奇心の対象ではあっても、可愛がるという付き合い方は思いつかない。チャンスと気まぐれで何とか捕まえようと障子を締め切って追いかけまわした。捕らえたら髭を引っ張ってみたり、足の爪を出したり引っ込めたり。顔を正面から覗き込んだら,啼いた拍子に嗅いだ口が味噌汁臭かった。
 
 しかし、僕が成長して餌付けを覚えると、この関係は変化した。パンの食べ残しやらを与え始めると、猫のほうも現金なもので近寄っても逃げなくなり、むしろ足元に寄って来ることさえあった。
 そのチンキも小六の夏に不意に姿を消した。祖母は山の中で死んだのだろうといった。そんなものか、と思いつつも一抹の寂しさを覚えた。

最古の記憶

皆さんの 「一番昔の記憶」 とはなんでしょう?

僕の場合
 三陸リアス式海岸と思しき絶壁を海に向かって落っこちてゆく
 自分の両足と、その先の藍色の海と白の波頭。
 松の木の枝なんかが生えている黒と灰色の断崖
 恐怖に引きつりながら海面を見つめる視線の先、自分の左足首のところに痣がある
 
恐ろしさにドキドキしながらベッドで目覚めると、朝の明るい陽光に包まれていた

あれ、落下は?

白い日差しの中で目を瞬かせていた僕は、パジャマから出ている左足に夢と同じ痣がある
のに気付いた。
 
擦っても消えない

ベッドから降りて居間に行くと母が台所に立っていた。その足に手を当てながら尋ねた。
「こんなところに こんなの あったっけ?」
左足首を指さす僕に母の返事は素っ気なかった
「あら、そんなのあったかねぇ」
僕は母の態度に不満を覚えつつ、

(この痣は僕であることの印になるな。父と母に覚えておいてもらえば、もし事故でも起きて、自分の顔が潰れたとしても、この痣で自分と見分けてもらえるぞ)

などと不穏なことを考えていた。

これが今まで続く自分の始まりだと自分では思っている。