yatata-dankeiのブログ

niconicoから放り出されたオジサンの迷走

漫画「ペリリュー」を買ったのは小杉伍長のせい

もう、いい年をして書店の漫画コーナーに足を踏み入れるのが勇気がいるように感じられる。それでも、本屋でないと出会えない本もある。そんな時間があるなんて、羨ましい。などという嫁の嫌味を躱して、密かにお気に入りの書店に羽を伸ばす。なんとなく気になる表紙と題名の冊子を手に取る。ペリリューは戦史を多少齧っていたから内容は大体予想がつく。

 絵のタッチはかなりのデフォルメ。劇画調にしなかったのは、人が死にまくる内容を考えたら正解だっだと思う。血や人体の損壊を黒く塗る程度にしてくれたのは、読み進めていくうえでだいぶ助けになった。これがエヴァンゲリオンのように直接的な描写をやられたら、ページをめくるのが厳しくなっていただろう。

 そして2巻以降を買うと決めたのは、小杉伍長の人となりだ。命令する隊長が死ぬと平然と軍紀を無視して生き残る方策を探り始めるところだ。
「ああ、これは僕だな」
群像劇では、だれか一人くらいはお気に入りや、共感するキャラクターが出てくるものだ。
 組織に組み込まれながらも、その実、組織の歯車になることをまっぴらごめん、と思っている。同調圧力に従いながらも、その軛から逃れる機会をうかがっている。

 

 第二次大戦での日本兵は、命令に忠実で死を賭して任務を全うする姿しか取り上げられないことが多いので、

 現代的な合理精神を持ち続ける主人公たちの好感度も良かったが、僕は作中のもう一人の僕である小杉の行く末を見てみたくなった。途中、まさかの泉二等兵ヒロイン説まで出て驚かされたり。島田少尉は背負うものが大き過ぎて日本に帰れなそうだな、とか。
 小杉伍長は完全に脱走兵になっていたが、味方を敵に売るような真似まではしない。こそこそと逃げ回っているが、たまに協力したりもする。あくまで利害の一致を見たときだけだが。
 しかし、最新刊の10刊で小杉伍長は死んでしまった。最後に焦りから日本兵への裏切り行為を犯した故、仕方なかったんだろうが。おのれ、片倉め。僕も片倉兵長は嫌いです。

 ところで、戦争を経験したのは祖父母の世代だったが。

 僕の父方の爺さんは満州帰りの連隊司令部付きの通信兵だったという。達筆な字で毎晩、小生という自称を使って手帳に日記をつけていた。終戦の年に上役のお歴々についてくる形で、早々に大連から日本に引き上げてきたらしい。五才の父は突然、家の軒先に腰を下ろしてブーツを脱ぎ始めた軍服姿の男を自分の父とは判らなかったと話していた。

 そうした経歴上、元兵隊の老人がよく隠居を訪ねていたが、その中に一人、異様な老人が一人いた。喉に穴が開いている。当然喋れないのだが、その穴に一見タバコのパイプのような器具を差し込むと、マイク音のような特異な音で喋るのだ。

 あの道具はどういった仕組みだったのだろう?ゆっくりの音声の低音みたいな機械的な発声。もう、あの老人も亡くなっているのだろうが、あの奇怪な道具は遺品にでもなって老人の遺族のもとに残っているのだろうか。