yatata-dankeiのブログ

niconicoから放り出されたオジサンの迷走

閣下のエルドラドと僕

デーモン閣下のエルドラドをずっと繰り返し聞き続けていた時期があった。
といっても、2013年くらいのことで、それまではこの偉大なヘヴィメタルバンドを知っては
いても、楽曲を聴いたことはなかった。まあ、あの”見た目”だったから。

 いい声である。僕の中での三大美声歌手(井上陽水ナット・キング・コール、と閣下)
となった。とくに伸びのある高音がうっとりと聴かせてくれる。永遠の憧れの地、エルドラド
への賛美(バブル頂点の頃の日本への皮肉?)が。

 そのなかの”むかしの記憶の中に”という詞がある。僕の昔の記憶の中にある黄金郷とは
カタンビワハゴロモという異形の蛾が舞う中南米のジャングルだった。小学館の図鑑に載っている怪物を、この目で見たくて、親が連れて行ってくれないものか、と願い続けていたのだった。

 子供のことだから、妄想は単純だった。父は旅行先のホテルでビールでも飲んでゆっくりしてもらい、母は街にショッピングにでも出かけてもらう。そして僕は駅前商店街のスーパーで買ってもらった自慢の捕虫網と虫かご、麦わら帽子で「完全武装」して熱帯の山に出かけるのだ。きっとそこにはいままで見たこともない極彩色の蝶、巨大で重い甲虫。細長い脚が手に余るほどの大きなバッタ。やがて森の木々の奥に樹皮に擬態するように、ピーナッツ頭の蛾がいるのを発見するだろう。

もちろん、子供の脳裏に蚊が媒介する伝染病や、ヒルなどといった危険な生き物は全く浮かんでいない。現地の治安なんて知りもしない。日本の田舎しか世界が無い男の子には、まったく違う風土と人々の社会があることなど、知る由もない。

 でも、今はそんな子供の夢など消し飛んだ。毎日、山を横目に家と会社の間を往復するだけ。
母は病院に入院して外へも出られない有様。
いつの日も届かない、とはこのことか、いや、はやく行かなかったからか。

 

 九月、思わぬ形で虫取りをする羽目になった。息子が登下校の途中で見つけたという

大カマキリの餌としてバッタを捕るというのである。虫かごの中には見事なカマキリ先生が鎮座しましていて、ちゃんと草葉が入れてある。立派な姿に、捨てて来い、という言葉を飲み込んで翌朝、裏の田んぼの畦道を探索することにした。

 

 何十年ぶりかの虫取り網である。僕は中年になったが、足元の草叢をバッタが飛び跳ね、頭上をしおからトンボが飛翔する。空は白い雲の彼方に青く拡がり、東の山際から太陽はギラギラ輝いている。世界は何一つ変わってはいなかった。

 

 最初は網を弄んでいたが、慣れとは怖いもの。バッタの姿を茎の裏やら葉の裏などに見分けられるようになった。こうなれば簡単だ。力任せに網を叩きつけている息子を尻目に、ひょい、と網を虫の上に置く。後は網の中の草と虫の仕分けをする。茎に留まっているやつを掬い上げる。網の中から出す。これを繰り返して20匹くらい採った。

 

 まだ青い稲穂を湛えた田んぼを囲う猪除けの網は昆虫たちの格好の日光浴の場所らしい。これまた多くのバッタを取ることができた。しかし、ここにはもう一人のハンターも来ていた。

「パパ、見てみて!」

なんともう一匹カマキリを捕まえてしまった。腹が大きいハラビロカマキリだ。なんということだ。

「ねえ、このバッタ全部餌になるんだよねえ。パパ、あんまり気乗りしないんだケド」

「このカマキリまでは無理じゃない?食べる奴が2倍とか・・・」

「嫌、もって帰りたい!」

 

 結局、ハラビロカマキリも捕まえて帰ることになった。道すがら、軽トラのオジサンとすれ違う。

「何がとれますか」

「イヤー、バッタばっかりで」

照れ笑いしながらウキウキの子供の背を追った。虫籠の中を覗く息子の帽子を見下ろしながら中米のジャングルとは程遠いが、これが僕の辿りついたエルドラドともいえるのだろう、と思えた。

 

 まあ、あと一つ子供のころに描いたエルドラドがあるんですけどね。「できるかな」のスタジオで、ノッポさんと工作して遊びたかったんです。