yatata-dankeiのブログ

niconicoから放り出されたオジサンの迷走

キメラ記憶の病院


 畜生,あのヤブ医者め。あいつは知らないだろうが,こっちは自分を40年やってるんだ。何度も経験した喉の不快な違和感。故に仕事と家庭の合間の時間を割いて,わざわざ病院に来たのに。おまけに診察の後にはお金まで払うんだぞ。なけなしの時間とお金使って,遊びに来るわけが無い。なにが,呆れ顔からの
「香田さん,困りますね」
だ。優秀な彼にとって軽い症状でしかない僕は,治療する価値が無いらしい。腫れが無いからと,アレルギーとか診断して肝心の抗生剤も出しやがらねぇ。

 おかげで翌朝は扁桃腺が真っ赤っか。唾を飲み込むたびに走る痛みで目を覚ます羽目となった。
鼻づまりは,最初の透明な水のような液体が鼻の穴から垂れてくるのを通り越して,左から,そして右まで詰まってしまった。ティッシュを二枚重ねて鼻を咬むと,白濁した粘液がドロリと出ている。頭はボンヤリ。視界は鈍くボヤけて全身が重だるい。 会社には休みの連絡を取った。子供と嫁を送り出して平日の家に独り残った。
 
 さて,どうしよう。アレルギーの薬では気休めにもならない。喉を洗面台の鏡に向けて大きく口を開けてみると,胡桃の実のような扁桃腺が紫に爛れて両側から覗いていた。コレハ駄目ダ。売薬では足らぬ。どこか病院でイブプロフェンと抗生剤とカルボシステインの三点セットを処方してもらわねば。鼻を中心とした顔の中央部が重い痛みに下へと落ちそうだ。僕はバスに乗って住宅街から市街地へと向かった。当然,最初に行ったヤブ医者の所に行くつもりは無い。なら,医師会病院くらいか。

 普段は乗らない平日の午前のバス。頭を窓に預けて薄目で街路樹と対向車の流れを眺めていた。左上の歯茎が痛痒い。カチカチと歯を鳴らして痛みを確かめながら,赤く腫れた副鼻腔の状況を想像していた。
 ふと,ある看板が目に留まった。十時医院。ぱっ,と古い記憶が蘇ってきた。熱に顔を紅く染めた幼い僕が母にタクシーで連れられてきた病院。まだ,あったとは。 節々の痛みに耐えながら次の停留所で降りた。看板のある角を曲がって奥へと入ると酒屋を通りすぎてその先に見覚えのあるセメントの門が見えた。

 昭和の古い造りの木造の建屋と自動ドアにさえなっていない正面玄関の扉。ガラスに金の明朝体で十時医院と塗ってある。もうちょっと駐車場も広く取ればいいのに。子供の頃と同じ感想を抱きながら木製の扉の把手を手前に引いた。
 入ったら直ぐに受け付けのカウンターが有り,太った女の看護士が何か書き物をしている手を止めた。
「おはようございます。どうされました?」
保険証を出しながら,微熱と鼻づまりと喉の痛みを訴えた。症状を書き込む紙と体温計を渡される。36・9度と身体の簡略図の鼻と口に丸印を付ける。昨夜から痛む,と。

 明るい東南の陽差しが黒革の長椅子を白く浮かび上がらせた。腰掛けるとブラウン管の小さなTVの画面が明滅している。地元タレントが地元の商店を紹介する番組。壁は黴の跡があってみすぼらしい。目を移した先の薄暗く狭い廊下の壁にハッとなった。医学標本だ。何の標本か子供心に判らなかったが,黒や緑,さらには青い犬の糞のような塊が12個か15個くらい並んでいる。何かの病変の標本らしい。40年以上経って改めて見てみると,やはり異様なものだ。木枠の上に小さく題名の紙が貼ってあるが,字が潰れてしまって読めない。目を凝らしていると,奥の扉がガラガラと開いた。
「香田さん,どうぞ」