yatata-dankeiのブログ

niconicoから放り出されたオジサンの迷走

お猫様クロニクル 3

4番目の猫は仕事帰りに拾った。道路の真ん中に座り込んでいた小さい猫を轢きかけたのだ。慌てて車を降りると、溝のほうから啼き声がした。僕は、少し血の気の引いた面持ちでこの猫を車に乗せた。

 餌をやってオス猫だと判った。初めての雄。まだ若い、子猫の面影を残すキジトラ。僕の関わる猫は必ずキジトラ。どんなもんなんだろう、雄って。ネットにあった強面のオス猫を並べたヤクザの組織図を思い浮かべながら、こいつもじゃりン子チエに出てくるアントニオみたいになるんだろうか、と想像を膨らませていた。だが、今はまだ、魔女の宅急便のジジみたいに細い。

 庭木の幹をスルスルと屋根くらいの高さに上って見せたり、木の実を啄みに来る野鳥に飛び掛かったりした。アキナには見られなかったやんちゃ坊主ぶりに、男の子を持つ親のような気持になった。大きくなれよ、と餌もセッセと与えた。

 だが、彼は近所のオス猫と比べてあまり大きくはならなかった。一度、臥せってしまい、病院に連れて行ったら、腸に炎症があるとかで、薬を処方してもらった。どうも頑健で丈夫というわけでもないらしかった。動物の世界では体の大きさが喧嘩の強さになるみたいだが。

 一度、納屋の屋根裏部屋の窓から、木を挟んで睨みあう、うちの猫と隣の家のボス猫を目撃した。唸り声と、目を合わせるか、合わせないかの微妙に視線を外した斜めの角度。緊迫の威嚇に固唾を飲んで見守る。ボス猫の前足がパッと前に奔った刹那、逃げるうちの猫が家の蔭へと消えた。僕は肩を落として窓を離れた。

 後に、うちの猫を抱き上げた際、悪気があるわけではなかったが、
「お前は強弱でいうと弱のほうだな」
と、からかいながら笑って言った。それが家の者に伝わって、じゃく、じゃくと呼び始めてしまった。猫は嫌い、と言っていた父までもが、じゃくと呼びながら抱っこするに及んで、猫の名前になってしまった。

 自分たちの勝手な呼び名とは別に、僕はいつしか隣の家のボス猫が憎たらしくなっていた。今度喧嘩の場面に遭遇したら、エアガンで撃ってやりたい。そうすれば、あのデカブツもうちの庭に入るのを躊躇うだろう。そうだ、エアガンを買わねばならない。仕事中にそんなことを考えていた。とにかく、アレに一発お見舞いしてやらねば気が済まぬ。

 そんな考えを巡らしていたある日、仕事の最中にも関わらず母から電話がかかってきた。
「じゃくがもうダメみたいなの。苦しんで家じゅうを転げ廻って・・・」
暗い声音が携帯の向こうから呟いた。突然、家の中を七転八倒したかとおもうと、ぐったりと動かなくなってしまったという。僕は取敢えず帰ってから様子を見るから、と電話を切った。だいぶ具合が悪いらしい。

 ある程度のことを考えながら家に着くと、じゃくの姿はどこにもなかった。母が、もう庭に埋めてしまったといった。
「なんで?」
俄かには呑み込めない事の顛末に憮然たる顔で、
「黙って勝手なことを・・・」
母を睨むと、ゴメンと言って項垂れた。可哀そうでとても見てはいられなかったというのだが。僕の気持ちは収まらなかった。

 遂には、ここに埋めたという地面から、じゃくの姿を掘り起こさん、とスコップを持って立った。黒い土の中から汚れたじゃくのキジトラの毛と、閉じた眼が出てきたらどうしよう。
その姿を想像するだに恐ろしくなって、僕は握っていたスコップを放り出してしまった。

 それが僕の最後の猫となった。
 
 今では僕の家には人生で一番大きい猫、大熊猫が住みついてしまい、家に主になってしまった。そいつは僕に小遣いを呉れて、あれこれと指図をしてくる。どうもそいつは僕を飼っているとでも思っているらしい。子供を産んだ後に至っては、その傾向が年々酷くなる一方である。