yatata-dankeiのブログ

niconicoから放り出されたオジサンの迷走

お猫様クロニクル 2

中学2年生の春くらいだっただろうか。風雨が強い夜にトイレに起きた,まだ暗い早朝。一匹の猫が納屋のバイクの荷台に丸くなっていた。必死の形相で訴えるように僕に向かって何度も啼いていた。驚いて足を止めていたが、先ずは用を足すため、構わず歩き去った。そいつはすぐに居なくならず、学校から帰ってきた夕方にもいた。とうとう部屋に上げてミルクを与えてしまった。それが3番目の猫「アキナ」との生活の始まりだった。
 
 中学デビューからの部活や学業などのハードルが一つ上がる時期。次第に友人等々周囲との関わりが難しくなっていた僕にとって、この若い雌猫との時間はずいぶんと精神面の救いになった。友人未満のお知り合いの同級生たちとの、気の休まらぬ学校生活に疲れて家に帰る。庭先から僕を見つけたアキナがピン、と上に尻尾を立て、小走りに真っすぐ足元に擦り寄って来る姿は嬉しいものだった。利害関係も学校での上下関係もない、お互いの好意だけの時間が救いになった。

 寝ている間に胸が苦しくて目を開けると、箱座りしたアキナの鼻が目前に迫ってきていた。別の夜には、就寝後の真っ暗な部屋の中で暴れまわり、翌朝モグラの死骸を見つけて仰天したりした。餌をやってはいるのだが、周囲に広がる畑から獲物を持ち込むのは日常茶飯事で、野ネズミの頭だけになったものを拾わされることは度々だった。

 そんな生活も高校卒業、県外への進学で僕が家を出ることで終わった。

 7年後に就職して帰郷すると、既にアキナは家を出ていた後だった。母の言うには、近所の家に出入りしているのを見かけたという。僕は仕方ない、と諦めつつも、いつかヒョッコリと道端を歩いているアキナの姿を見かけることができるかも、と淡い期待を持っていた。

 しかし、社会人の仕事に一杯一杯になっていた僕は、いつしかアキナのことを忘れて目まぐるしく日々を過ごした。そんなある晩、風呂に入りながら猫のことを何気なく思い出した。よくよく振り返ってみると、アキナとの出会いから17,8年は経っていることに思い至って愕然となった。
「あいつはもう死んでいるのではないか」
ぼんやりと再会を思い描いていた僕は、大事な相棒を失ったことに気づかされた。

 今になって、ふと思い出したことがある。アキナが死んだのかも、と考える前だったか後だったか定かでないのだが。あの納屋で草履を履いて出かけようとしたときだ。自分の眉間に向かって大きな蠅が飛んできた。驚いて蠅を避けたが、なんかオカシイ。蠅の数が多いのだ。僕は納屋の中を調べてみた。

 倉庫の床下の地面に猫の死体のようなものが横たわっていた。冬が終わり寒さが緩もうとしていた。冬の間に床下に入り込んで事切れたものと思われた「ソレ」はすでに黒くなっていて、全身に蛆の蠢きが漣を作っていた。
「ワーッ」
僕は真っ蒼になってスコップを取ると、庭の一本の木の下に穴を掘った。そのまま取って返すと、猫ラシキモノをスコップで掬い上げた。零れ落ちる蛆に構わずソレを一息に穴に投げ入れた。
「往生しろよ」
脂汗をかきながら、上から土を被せた。そんなことがあった。あれは、アキナの成れの果てだったのではないか。いや、それは自分の勝手な思い込みで、無関係な野良猫か。もう、確かめる術はないが。

 それ以来、僕には一つの妄想がある。自分が死んだ後である。
雨の後のウユニ塩湖のような、空と大地の境が無くなったような場所。フワフワと漂いながら、自惚れていたわりに何もできなかったな、と自嘲したりしている。すると、白い靄の彼方から、
「ニャー」
と、聞き覚えのある啼き声がする。振り向くと、キジトラの毛にピンと上に立てた尻尾の猫が駆け寄ってくるのだ。僕はたぶん、
「オーッ」
と、感嘆の声を上げて小さい背中から尻尾を撫でるだろう。そんな再会があるかもと、密かに胸に秘めている。