yatata-dankeiのブログ

niconicoから放り出されたオジサンの迷走

めくるめく ミイラ の世界

我ながら、ちと嫌なタイトルだとも思ったが、cryo氏のミイラ動画を観ている。
視聴者をかなり限定する題材だが、事実を取り上げる系の動画である故、深淵なるも広大、そして奇想天外な人間の物語を目撃することができる。

 ミイラ、死体の干からびたものが、時を超えて古代の人間の姿、生き様を垣間見せてくれるのは興味深い。特にpart11のチンチョーロ文化の回は、9000年前という古さに驚かされた。殆ど人類の始まりに近い時期じゃない?そして、ミイラ化された家族、子供の姿に切なくもなった。アタカマ砂漠の乾いた砂の上で彼らはどんな発音の言葉で会話をし、毎日を送り、一家でミイラになる最後を迎えたのか。ビール片手に思いを馳せてみる。

 part19のインカ帝国の「聖なる少女」も目を引く。約500年前に滅んだ文明を生きていた少女の生前の姿がほぼ完全に残っているのは貴重だ。記録ではない、生の現物。しかも、生きている頃を窺い知ることができる腐敗を免れた外見。どうにかして彼女を復活させられたならば、当時の言語で、風俗習慣、世界観に人生観を聞き出すことができるだろうに。彼女の姿を通じて失われた文明をいろいろと想像してみる。

 例えばこんなだ。「聖なる少女」を傍で眺める別の少女。彼女は聖なる少女が、生まれつき大きく生まれ、周囲より頭一つ抜きんでて発育が良く、注目を集めていることに気づいている。それは彼女たちが共に成長するに従って、大人の何気ない態度や言葉にならない仕草、自然と人が寄って来る聖少女と、そうではない自分として感じられる。

 やがて男たちの、彼女たちを見る目が明らかに変わり始めたころ、インカの美意識に則って美しく、大きく育った聖なる彼女は文字通り神に選ばれてしまう。その宣託が告げられたとき、普通の少女はどんな感想を持っただろうか?

 神の元に赴く聖なる少女を羨んだだろうか。それとも心密かに死への片道切符を渡されたことを哀れんだろうか。貴人しか食べられないトウモロコシの美味い飯を食べることが、生贄を太らせることでしかない。などと神への恐れとは裏腹に現代人ほどではなくても、死んだら終わり、くらいの感覚で、
「お気の毒に」
と、聖なる少女を遠目に眺めただろうか。

 その日。冷たく晴れた、まだ暗い星空の朝。強張った顔の聖なる少女。血の気の引いた頬に涙を浮かべる6歳くらいの少女。小さく指が震える7歳前後の少年の3人。神官に先導された10人程の一行が、山へと続く道を登っていく。その背中を彼女が見送る。着飾った3人の子供は神の身許に行き、永遠を約束されるはずである。

 やがて神官達だけが戻り、残った普通の少女は子を産み、育て、老いて死んでいく。折々に、聖なる少女が神の世界へと旅立った山の頂を、遥かに見上げながら。

 やれやれ、少し妄想が過ぎたようですが。

 part17のホラー映画のようなアメリカの事件や、最新話の19世紀末から20世紀初頭のアメリカの風俗と倫理観の現代との隔たりかたも、愉しく拝見させてもらった。人間て面白いよね。人間は地球環境にとってガン細胞であり、滅んだほうが良い、みたいな暴論も散見される令和の今だけど、人類がいなくなった地球なんて、素晴らしく調和のとれた、平和な、そしてツマラナイ世界だと思いますよ。