yatata-dankeiのブログ

niconicoから放り出されたオジサンの迷走

プリンプリン物語での勘違い

今北産業

主演の石川ひとみと倉田まりこを混同していた僕は
倉田さんのスキャンダルで番組が終了したものと思っていた
ウィキペィアでその誤りを知ることになる

 プリンプリン物語は600こちら情報局の後にあったnhkの人形劇でした。
1979年4月2日から,1982年3月19日まで,全656回。月曜から金曜の午後六時二十五分-四十分の十五分番組。

 ニュースでは大平正芳首相が顔を出し,クイズ百人に聞きました,が始まっていたり,夏休みには映画で銀河鉄道999がエライことになってたりしてました。秋には近鉄西本監督と広島古葉監督で江夏の21球大阪球場で繰り広げられた年。

 その日は毎日のように遊んでいた幼なじみの女の子の家にずうずうしくも,六時二十五分を過ぎても居残っていたのだった。足をぶらぶらさせて,堀りこたつを囲んで,何をして遊んでいたのだろう?ふと,女の子の目線がテレビに釘付けになった。その先に,軽快な音楽に乗って映ったのは「プリンプリン物語」の白いタイトル文字だった。僕が物語の楽しさに触れた最初のときだった。

 当時の映像はyou tubeにていくらかは見られるが,今見るとこんなにトンがったデザインの人形だったかなぁ,と思うくらいのシャープな目鼻だちの造形だ。
自分はプリンプリンお姫様とボンボン(神谷明)は頭の片隅に残っていたが,お猿のモンキー(斉藤隆),食いしん坊少年のオサゲ(はせさん治・・・かぁ),予知能力と博識のカセイジン(堀絢子)あたりは全く覚えてなかった。ワット博士も顔が浮かんでこないが,声が鷲尾真知子さんで,エーッとなる。あと,当時皇女だった紀宮がファンで,一年の終了予定が三年に伸びたってホントですか?

 アクタ共和国とルチ将軍は覚えていると云う方は多いだろう。「知能指数1300」は名言デスヨネー。あの頭は忘れられない。たしか,宇宙から落ちてきた隕石だったんじゃないかな? 元の王様がお城の宝物庫の宝箱を開けると,中にビロードの型枠中に納まっていた例の瓢箪お化けが突如宙に浮き,王様の悲鳴が響いて・・・。哀れ王様は乗っ取られていた設定だったような。僕も,めーれいぜったい,きそくはいっぱい,あーくた,あーくた,きょーわこくぅー,と軍服姿の男女が戦車の前で歌う場面は覚えている。あと黄色いジュース缶をやたら投げ捨ててたな。

 石川ひとみと倉田まりこの混同
 プリンプリンの声をあてていた石川ひとみは,1959年愛知出身。「まちぶせ」のヒットとレッツゴーヤング太川陽介の隣に立って司会進行をしていた。
 1987年にB型肝炎を患って療養。事務所の契約を打ち切られて一時引退していたが,復帰。結婚を経て現在も歌手活動を続けられているとのこと。
2003年から2004年にかけて18時10分からの再放送があったらしい。知らんかった。また,bsプレミアム枠で第一回から五十回を放送されている。このとき,石川さんがゲスト出演している。

 一方,倉田まりこさんは1960年長崎出身。1979年の「グラジュエイション」のデビュー。同年の「how!ワンダフル」がヒット。
1985年の投資ジャーナル事件に巻き込まれ,そのまま引退に追い込まれる。因みに同時期には,あの豊田商事事件が起こっており,もうバブルの波が寄せてきている時代。
その後,猛勉強をして独立起業。現在は大学の特命教授を努める。この気概,恐るべし。

 おわかりだろうが,テレビと事件の間には3年の開きがある。 子供のことなので,ちゃんと番組の最終回を見てはいなかった。プリンプリン,どうなったんだろう。まだ,続きあるのかな。なんて適当な思いを抱きながら,しかし子供の頭で忘れていた。それで後年,倉田さんのスキャンダル報道をスーパージョッキーの芸能コーナーで見たとき,主演の人がスキャンダルを起こして番組が終わったのだと思った。
 が,それは僕の独りよがりの思い込みだった。しかし,石川さんは,倉田さんに似ていると言われていた時期があったらしい。僕の勘違いも,全く当て外れではないかも。